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私にも、どうしていいか分からないのです。 [平均寿命 健康寿命]

平均寿命が延び、人生が長くなったので、自分で人生設計をして生きていくことが大事だと言われるようになりました。

同時に、この長い人生における仕事も一つだけを考えるのではなく、複数の仕事を考えても良いのではないか、という考え方も出てきています。

そして、そういう考え方が、それなりの支持を受けてもいます。

「人生多毛作時代」というのだそうです。

上手いことを言うなあと思います。

非常に魅力的です。すごい発想力だと思います。


ですが、これはシニアの中でも健康人間にだけ通用する考え方のようにも思われます。

人生が長くなったと同時に不健康な時代が増えた人間は、どうすればいいのでしょうか?

不健康時代が増えて、自分で自分の人生設計なんて出来ないシニアはたくさんいます。

この世で、何か提案する時には、「◯◯だということを前提にして考えると」という前提がどうしても必要です。

何故かと言うと、それぞれみんな状況が違うからです。

「そんなこと言ったら、何も言えないじゃないか」と言われそうですが、そういう前提を意識していかないと、個の伸長とか個々の人間を大事にするとかいう論議は成り立たなくなってしまいます。

「 ◯◯だということを前提にして考えると」ということは、「実態に合わせる」ということです。

とりわけ、シニア世代に関する論議は、非常にナーバスになることが大事です。 

シニア世代の両端には、「健康・自立」のいきいきシニアと「介護・依存」の辛いシニアとがシビアに存在しています。

大変難しい状況です。

介護に疲れて自殺をしたり、介護者が介護を要する者を殺したり、老々介護の後、一人残された者が餓死したり、そういう地獄もあります。

また、一方においては、仕事にも健康にも家族にも恵まれて豊かな生活を送っているシニアもたくさんいます。

ただ、どこの場所にいても、人間にはプライドがあり、生きる意味があり、幸せになる権利はあるのです。

だから、平均寿命が延びたイコール選択肢が増えた、とは簡単には言えないと思うのです。

「平均寿命が延びた。しかし、健康寿命という観点から見ると、手放しでは喜べない。」

「これからは、健康寿命を延ばすことを目標にしよう。」

「健康でいれば、こんなことも可能だ。不幸にして、不健康になったとしても、こんな生き方が可能だ。」


間違って受け取ってもらっては困るのですが、私は、人生多毛作時代の考え方を否定しているわけではありません。

その考え方は非常に独創的で惹かれます。

ただ、できれば、もう一方の端に位置するシニアたちにも想像力を働かせた生産的な言辞がほしいのです。


じゃあ、どうすれば良いのか?

すみません。答えは、私にも分からないのです。


言えることは、ただ一つ。

「一緒に考えましょう。」考える仲間に入れてください。


私も、私の立場で少しずつ、ていねいに活動していきます。



シニアの年齢になれば、新しい友だちは、つくれない? [シニアの学び]

ある年齢を境にして、「知人にはなれるが、新たな友だちをつくることはできない」という年代に突入します。

シニアの年齢になれば、新しい友達はつくれないのです。

若い頃は、クラス替えや班替えをすれば、すぐ意気投合して友達になれました。

しかし、シニアの年齢になると、職歴や趣味や経済的な豊かさや健康の度合い等々、様々な要因が邪魔をして、友だちづくりができなくなります。

それに、肉体や精神の衰えに伴って、いろいろなことが面倒臭くなってきます。

しかし、そのような人たちでも、学ぶ仲間がいるという環境に身を置くと状況は変わってきます。

ある学びの機関に入学し、毎月何回か定期的にそこに通うようになると、新しい友だちの出現する機会が、非常に多くなります。

当然と言えば当然ですが、職歴や趣味や経済的な豊かさを越えて友だちになれるというのは、すごいことです。

これは、学びの機関に入るということの最大のメリットなのです。

定期的に外に出て学びを始めるようになると、自分の生活が劇的に変化してきます。

服装が変わる、会話の数が増える、お金の使い方が変わってくる、そして何よりも生き生きとして、身体の動きにもキレが出てきます。

たくさんのシニアの生徒を見てきたおかげで、「同じ方向を向いた学びの仲間がいる」ということこそが、ダイレクトに生き甲斐づくりにつながるというたくさんの現実を見ることができました。

また、その学びの集団の質が高ければ高いほど、充実度や行動範囲が広がり、笑顔と会話が増えていくという事実もたくさん見てきました。

前回のブログで健康寿命のことを書きましたが、

「健康寿命と学びの有り様は、底辺でつながっている」と思っています。

健康寿命とその周辺 [平均寿命 健康寿命]

平均寿命が延びても、健康寿命が延びなければ、手放しで喜ぶことはできません。

ご存知のように、平均寿命のうち、健康で自立した生活を送ることのできる期間を「健康寿命」といいます。

先日の厚生労働省の発表によれば、日本人の平均寿命がまた更新されました。

男性は、80.21歳(初めての80歳超え)、女性は、86.61歳(世界1位)になり、過去最高を更新しました。

しかし、この平均寿命も、『
平均健康寿命』という窓口からみると、

男性72.3歳、女性77.7歳とされ、平均寿命との差は男性7.91年、女性8.91年にもなります。 
(2005年)

つまり、それは要介護や寝たきり状態など、自立した生活を送ることのできない「不健康期間」が8~9年もあるということになります。

これは、大変な数字です。

当然のことながら、2005年以降、平均寿命を延ばすだけでなく、健康寿命を延ばし、
不健康期間を減らすことが重要であると、国レベルで本格的に考えられるようになってきたのです。

(健康寿命に関して、2005年以降の正確な数字を持っていませんので、分かり次第訂正します。)

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さて、そのような状況になる前も後も、シニアの学びは、ずっと続けられてきました。

 しかし、現在のシニアの学び(生涯学習)のカリキュラムには、健康寿命の考え方が反映されているのでしょうか?

都道府県の実態や各学習組織の実態を、「健康寿命」の観点から検証してみたいものです。

 実際、【平均寿命が延びても、健康寿命が延びなければ、手放しで喜ぶことはできません。】という状況がハッキリしたのにもかかわらず、シニアの学び(生涯学習)のカリキュラムが、いまだに「健康寿命」を視野にいれてないとすると、欠陥カリキュラムだと言われてもしようがありません。

それでは、健康寿命の観点を視野に入れたシニアの学びとは、どんな学びになるのでしょうか?

何を目的にした学びなのか、ということで百人百様のカリキュラムが存在するのですから、本当に難しい課題です。

それに、気の合う仲間が集まって趣味を一緒にやる会も、ここで言う「生涯学習」に含めるか含めないかで、設問自体が宙に浮いてしまう危険性も出てきます。

大変難しい課題ですが、このブログでは、回数を重ねながら、試行錯誤を重ねながら、課題克服にせまる答えを追求していきたいと考えています。


シニアとの協働 [新しいシニア]

シニアの頑張りや挑戦をアピールしたいと思って、教育事務所という所に行って来ました。(教育委員会ではありません。)

シニアたちの生き様を知ってほしかったのです。

シニアは弱いけど弱くない。

シニアは、弱者だけど、熟達者だ。

若者のように肉体は動かないけれど、頑張っているシニアたちがたくさんいる。

そういうシニアの応援をしてほしい。

そういうことを言いに行ってきたのです。

では、具体的に何をしてくれと言いに行ったのかというと、「教育フォーラムでシニアの活動発表ができるか。」ということを探りに行ったのです。

結果は、次年度回しになりました。

本年度分については、すでに提案団体が決定しており、概要も出来上がっているので、シニアの提案は、次年度にしてくれということでした。

「次年度」ということは、私どもの活動に賛意を示してくれたということを意味します。

さらに、シニアの活動内容を広報誌に載せてくれることも約束できました。

成果だと思います。

シニアは、まだまだ元気です。経験があります。知識もあります。礼儀も正しいです。


今の社会がシニアの活動を十全に認めているわけではありません。

「隠居。一人前ではない。口うるさい。職場の雰囲気が悪くなる。動作がのろい。」等々いろいろ言われます。

しかし、しかしです。この少子高齢化社会において、現在の産業規模を維持し、現在の豊かさを維持していくためには、シニアとの協働は、欠かせないのです。

文化・教育面においても然りです。

勿論、一概にシニアといっても、ヤングシニアもいれば、オールドシニアもいる。

介護を要するシニアもいれば、アクティブシニアもいる。

私は、今、そういうシニア群全体を指して協働の大切さを主張しているわけではありません。

協働というよりも、相互扶助と言った方がよいシニアたちもいます。

だから、ケースバイケースかもしれません。

しかし、大きな流れは、協働です。そして、協働を支えるのは、相互扶助です。

シニアと共に、私たちの日本をどう作っていくかを具体的に考えて具体的に成果をだしていく。

そういう活動をシニアの側から真剣に考えて歩いて行きたいと思います。


高齢者の居場所 [シニアの現実]

シニアのことを書きたいと思って書き始めましたが、このブログは、どんなブログテーマに入るのか悩みます。

中身の多くは、シニアの学びを中心にした活動の紹介になると思うのですが、生涯学習というブログテーマがありません。

なので、最初は、健康ブログに入りましたが、どうもそぐわない感じがして、教育のテーマに移りました。

生涯学習も教育の仲間だからいいだろうぐらいに思って移りました。

しかし、そこも居づらくて、今日、資格・学びに引っ越しました。

私のブログは、あまり世間には受け入れられないのかなあ、なんて考えてしまいました。

しかし、私には、他に書けることがないので、このまま書き続けようと思います。よろしくお願いします。



先日、久しぶりに都会に行って来ました。

都会は、実に自由で活気があって、ニコニコしながら歩いていきました。
 
少し時間があったので、近くのデパートに入りました。

スッと涼しくて、私から見れば上品で「都会だなあ」と思いました。

しかし、そこで不思議な光景に出会いました。

最近は、どこのデパートにもあまり椅子が置いてないのですが、そのデパートには、数は多くありませんが、置いてありました。

なんと、その椅子がお年寄りで満席だったのです。

別に何があるわけではありませんが、しばらくぶりに都会に来た私は一瞬立ち止まってしまいました。

「なんで?」と思ってしまったのです。

用事を済ませてまた椅子の所に戻ってみると、先ほどの人たちが、まだ座っていました。

話をしている様子もないし、知り合い同士のようでもないし、好きなように時間を過ごしていました。

人は基本的に自由でよいのですが、「この人たちは、昨日もここに居たのだろうか?」と思ってしまいました。

でも、本当のところを訊くわけにもいかないので、そのまま次の用事に向かいました。

疑問です、質問です。

「彼らは、昨日もここに居たのでしょうか?」

こういうデパートの中も、都会では【高齢者の居場所】になっているのでしょうか?

シニアのイメージ 老人のイメージ [シニアの現実]

小学生にお年寄りの絵を描かせるととも、上手い下手は別として、ほとんどの子どもが、似たり寄ったりの絵を描きます。

ヤフーで「高齢者 イラスト」「お年寄り イラスト」と入れて検索すると、出来不出来は別として、子どもたちがイメージした絵と同じイラストが出てきます。

老人、お年寄り、シニア、高齢者は、日本では同じイメージとして画一化され、そのイメージに沿った似たり寄ったりの絵やイラストばかりになっているのです。

これは、単に絵やイラストの世界ばかりではなく、国や地域における現実の高齢者対策にも大きな影響を及ぼしているのではないか、と不安になってきます。

何でこんなに想像力の乏しいイメージの中で高齢者に接する要領が出来上がってきているのでしょうか。

ある事象、ある集団、ある事件に対する固定的なイメージは、その国の思考や行動の水準を表しているように思えてきます。

固定した画一的イメージは、対象を生きて動いているもの(こと)として見ていないことから生まれてくるイメージなのです。

だから、老人は動きが鈍くて困るとか、老人のくせに偉そうにしているとか、ヒドイ場合には、「うざい」などと言われて邪魔者にされていくのです。

共存の思想や人間社会の循環の事実が、その場その場で適当に扱われてきて、老人は、蚊帳の外の存在にすらなっているような気がします。

現実のこの世の中には、優秀な老人や高度な技術を持っている老人や気高い人生を送っている老人が数多くいます。

でも、この方達もその場その場の方便で、スゴイとか立派とか言われていますが、だからと言って、彼らが豊かなイメージで社会に位置付けられているわけではないのです。

大人の中には、老人は含まれていないのではないかとさえ思う時もあります。

子どもと成人が一つのグループ。

老人、高齢者、お年寄り、シニアがもう一つのグループなのです。

ですから、いくら平均寿命が延びて世界一になっても、社会の質自体が世界一になろうとしない限り、若者と比べて老人は、不幸せな扱いを受ける率が大幅に高いのです。

現在の日本は、高齢化の真のピークに入ろうとしています。

今こそ、老人に対するイメージの変更と活動の場の確立を始めない限り、この国の未来は、夕方のすさびた場末のような国になってしまうだろうと思えて仕方ありません。

あなたは、このまま死んでいくのですか。 [シニアの現実]

「あなたは、このまま死んでいくのですか?」と言われたらどうします?

実は、この言葉、私が私に言っているのです。

がんばって生きているんだけど、「このままでいいのかなあ」なんて、ふと考えたりするんです。

日頃、いろんなシニアと話をします。

若々しい話をすることもあれば、普通の世間話をすることもあります。

そんな中で、たまにシニア本人の悩み相談めいたこともあります。

中身はやっぱり、「このままでいいのかなあ?」という類が多いです。

遠くへ嫁いで行った娘のことや、腰痛や肩こりのことや、一人住まいのさみしさなど。

まあいろいろです。

相談というのは、相談する側と相談される側がいます。

当たり前のことですが、シニア級の相談になると、話をしているうちに、相談する側と相談される側が入れ替わってしまうことがあります。

相談を受けているうちに、自分の今やこれからを考えてしまい、相談が逆転してしまうのです。

最後は、手を取り合って、お互いがんばりましょうということで終わりになります。

それ以上、突っ込んでいけないからです。

たくさんのシニアが苦しみの中で生きています。

集団でいれば紛れ込んで分からないことでも、個人が胸襟を開いて話をすると、その苦しみの様々が心の中に飛び込んできます。

健康不安だったり、経済不安だったり、数年後の生活不安だったり、個々人によっていろいろですが、話を突き詰めていくと、複合不安もたくさんあります。

複合不安というのは、お金がないから、せめて健康だけは保持しなければと考えているが、最近は、めまいがしたり、急に涙が出てきたりして耐えられなくなってしまうというように、いくつもの不安が波状的に襲ってくるのです。

冒頭の「あなたは、このまま死んでいくのですか?」という問いかけは、実は、「私は、こんな悩みの中で人生が終わりになるのかなあ」という不安の表出なのです。

人生の晩年をこのままで終わらせたくない、という意欲的な場合も、「あなたは、このまま死んでいくのですか?」という問いかけになりますが、今日のブログは、そちらではありません。

暗い方に向かっている話です。

生きているからには、生きている使命がありますが、笑いながら、生き甲斐をもちながら、残りの人生を生き切るということは、とても難しいことです。


私たちは、柔軟な心を持つかぎり、何歳になっても新しい挑戦を始めることができる。 [シニアの学び]

「私たちは、柔軟な心を持つかぎり、何歳になっても新しい挑戦を始めることができる。」

これは、私が機会あるごとに、シニアの生徒たちに言い続け、また、私自身にも言い続けてきた言葉です。

この言葉のもつ意味は、希望です。

希望こそが、シニアの明日を支えます。

肉体が老いていく哀しみ。若い頃のように機敏に動けない身体。

年老いた自分が、「ここに居てもよいのか」という遠慮。

それらを打ち破ることができるのは、自分が希望の下にいるからなのです。

私は、シニアの生涯教育に関わるようになって4年目になります。

この3月、私にとっては、最後の生徒たちが卒業して行きました。

卒業式当日も、私は、同じように希望の言葉である

「私たちは、柔軟な心を持つかぎり、何歳になっても新しい挑戦を始めることができる。」

という思いを贈りました。

以下、私が、卒業文集に書いた言葉を掲載します。

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『学びを大事に 仲間を大事に』

南都留教室第二十六期生の皆さんに心からご卒業のお祝いを申し上げます。

二年間にわたる勧学院での学びを成し遂げ、今皆さん方の心境は、満足感と成就感に満たされていることと思います。

自らの意思で主体的にはじめた、この二年間の学びによって、一人ひとりが豊かになり、その豊かさが学年全体に拡がり、まれにみる、豊かな学びに充ちた南都留教室を創りあげることができました。

皆さんと共にその成果を喜びたいと思います。

私たちは、これからも勧学院の成果を生かすために、ずっと学び続ける存在でありたいと思います。

ややもすると、昨今の社会状況や学習環境を憂いてしまいがちで、落胆することもありますが、真に問うていくと、「学び続ける」ことは、ほかならぬ自分自身の姿勢であることに気づきます。

常に「求める心と目」を持って豊かな自分づくりを続けていってほしいと願っています。

また、学びの過程で「人とつながる」ということをさらに大事にしていただきたいと思います。

私たちに降りかかる課題や問題の多くは、人との関係から生じてきます。

また、その解決に際しても、やはり人との関係が大きく影響してきます。

これは、人とつながっていることで解決の糸口を見つけられる場合が多いということであります。

学びの世界でも同じです。

人とつながることによって、考えるヒントや考える場が生まれ、学びの世界が拡がっていくのです。

ですから、とりわけ、勧学院の卒業生は、人とつながるプロでありたいと思います。

面識の深浅に関係なく率先して人とかかわる姿勢を持ち、肩の力を抜いて自然体で人とかかわることができる力を、さらに拡充してほしいと思います。

そして、隣人や子どもたちにもその力を分かち与えていただきたいのです。

私たちは、柔軟な心を持つかぎり、何歳になっても新しい挑戦を始めることができます。

これからも柔軟な開かれた心を持って、豊かに学び続けながら、人と結びあって自分の生きる世界をもっともっと拡げていってほしいと願っています。

今後、皆さんがますます研鑽を積まれ、地域社会のために力を発揮され、ご健康で活躍されることを祈念いたします。

本当におめでとうございます。

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今、私は、卒業生と共に、自主サークルを結成し、「学びと仲間を大事に」しながら、学びのエネルギーで地域が変わることを信じて進んでいます。
          (学びのサークル員:1年生42名、2年生29名、3年生19名。平均年齢70歳)


シニアのための新しい学習スタイルをつくる。 [シニアの学び]

シニアの学びは、

①学びたいシニア

②学びの指導者

③学びの場所(施設等)

④学びをコーディネートするコーディネーターがいて、初めて成立します。

このどれがかけても、シニアの学びは成立しません。

また、シニアの学びは、

①学びたいことを学べる。

②学ぶ仲間がいる。

という2つの要素が満たされなければ、学びは、発展していきません。

学びが発展していくということは、単に知識が増えるということではありません。

同じ方向を向いている学びの仲間がいて、その集団の中で、学びの楽しさを共有しながら、人間として成長していくということを、学びの発展と言うのです。

ですから、どこかの公開講座に参加するとか、一定期間なされる学習会に参加するというのでは、私が、今ここで述べている「学び」には、なりません。

もう一度いいますが、シニアの学びには、同じ指向性をもって、共に成長しようとする「学びの仲間」が、必要なのです。

学びの仲間とは、自主的に運営されていく、学び集団を指します。

つまり、学びの仲間は、学級や学年を形成し、学級長や学年委員長がリーダーシップをとりながら、班長や係が有機的に活動していく、自主的な運営組織の要員になっている「仲間」を言うのです。

一部の人が計画したレールの上に乗って、学びの課程を計画的・機械的にこなしていくというスタイルでは、これからのシニアの学びとしては、不十分なのです。

シニアという成熟した人たちが、かっての学校のスタイルを借りながら、自主運営をしていくことが大切なのです。

その自主的な学びの集団の中で、シニアは、再度社会に役立つ・社会を支えるためのシニア集団になっていくのです。

たとえ、個々のシニアが、趣味や好き嫌いで参加してきたとしても、同じ方向性を持つ、同じ集団の中で、鍛えあい、励まし合い、経験のエッセンスを出し合って学びの集団を創り上げて行く。

その中に、日本のこれからを推進していく『原動力としてのシニア』が誕生してくるのです。


あなたの周りには、このようなシニアのための学習組織がありますか?


さらに、シニアのための学習組織には、学びの喜びばかりではなく、集団として発展していくダイナミズムが必要です。

集団として発展していくダイナミズムとは、講義学習(授業)以外に、自主的に他の集団と関わりを持つことで生まれてくるエネルギーを指します。

中高生と一緒に合唱をつくりだすとか、

他の自主サークルと一緒に新聞を発行するとか、

健康体操を習得して普及していくとか、

決して「自分一人のシニア」では、経験できない関わりを自主的につくっていくことが必要なのです。
(文頭にあげた「コーディネーター」の役割もそこにあります。)

シニアのことを、これからの日本の「主役のひとり」として本気で位置づけたいと願うのなら、

これからを見据えた新しい学習組織をつくっていかなければならないと考えています。


《幸齢社会》の実現に向けて [シニアの学び]


退職したシニアがやることがなくて、 家の中でプラプラしている状態は最悪です。

それに、夫婦で毎日家の中にいるようなことがあれば、また違う意味で最悪かもしれません。

退職後に継ぐ家業があるとか、田畑があって農業をするとか、起業をするとかできる人は良いのですが、大多数の人たちは、何をして暮らしていけばよいのか分からないで生きているのです。

戦国時代であれば、もうとっくに亡くなっていた人たち。

医療技術の進歩で、がんや心疾患、脳血管疾患、肺炎で亡くなる割合も下がり、寿命がどんどん延びていった人たち。

この高齢者たちに、生きがいや居場所を、誰が用意してやれるのでしょうか。

これは、喫緊の課題なのです。

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実は、歳を取れば取るほど重要になってくるのは、「きょういく」と「きょうよう」なのです。

「教育」と「教養」ではありません。

「きょういく」と「きょうよう」です。

「きょういく」というのは、「今日も行く所がある」ということです。

「きょうよう」というのは、「今日も用事がある」ということです。

今日も、生きがいや、学びや、仕事があるということです。

良い社会というのは、若人から高齢者に至るまで、どこにいても、そういう環境が用意されている社会を言うのです。

もし、あなたが若い人だとしたら、あなたの周囲の高齢者たちを見て、「あなたの未来の安心」を感じとれますか?

もし、あなたが高齢者だとしたら、あなたばかりでなく、日本の高齢者たちは、幸せに生きていると感じとれますか?

歳を取るというのは、人生をリタイアすることではありません。

60歳で退職したら、もうリタイアだとすれば、あと20年(男性)や27年(女性)を、どうやって過ごしていくのだすか?

今から、まだまだ輝ける日々を創っていくのです。

今から、まだまだ若人と一緒に社会を担っていくのです。

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「幸齢社会」という言葉があります。

これは、「高齢社会」という言葉の持つ、マイナスのイメージから脱却し、健康で、生きがいを持った高齢期が迎えられる社会を目指して造られた言葉です。

人生100年と言われる今、これからの高齢期の人たちは、

「社会から支えられる存在ではなく、地域が抱える課題を解決する《地域社会の主役》として活躍する存在」でありたい。

そういう強い願いが込められた言葉です。

これは、文部科学省が、「長寿社会における生涯学習の在り方について」(平成24年3月)の中で、使った言葉です。

私は、この「幸齢社会」という言葉は、これからの日本の社会の重要なキーワードになるに違いないと思っています。

高齢期の方々が、新たな価値観を創出しながら、新しい生き方を試みていく社会が到来することを切に願っています。

同時に、私も《幸齢社会》の実現に向けて活動をしていこうと考えています。


シニアとアクティブシニア [新しいシニア]

「シニア」という言葉を辞書でひくと、「年長者、上級生、上級者」と書いてあります。

「シニア層」という言葉を辞書でひくと、「年長者の年代、世代を指す語。特に中高年や還暦以上の高齢者世代を広く指す語」と書いてあります。

しかし、私たちは、そういう規定を別にして、50歳を超えれば、みんなシニアと呼んでいます。

そして、若いシニアを、ヤングシニア、もっと歳をとっているシニアを、オールドシニアと呼んでいます。

(もっともっと歳をとっているシニアは、オールド・オールドシニアです。)


シニアの中には、寝たきりで介護を要するシニアもいます。

反対に、バリバリ元気なシニアもいます。

だから、シニアという言葉は広すぎて、結構あいまいで、正確に特徴を表そうとすると、大変困る言葉です。


シニアのなかでも、介護を要しない元気なシニアを「アクティブシニア」と呼んでいます。

ただ、介護を要しなければ、誰でもアクティブシニアかというと、そうではありません。

アクティブシニアは、次のような特徴を備えている人たちを言います。

○戦後教育を受け、高度成長期を経験している世代。

○ライフスタイルにこだわりを持ち、独自の価値観を持っている。

○生涯現役志向が強く、経験豊富で優れた価値判断力を有する。

○仕事に趣味に意欲的である。

これは、団塊の世代を中心とする人たちで、

「ニューシニア」とも呼ばれ、自分なりの新しい価値観を持つ元気なシニアです。

彼らは、子ども時代に、民主主義や欧米文化の影響を強く受け、封建的な日本から解放された最初の世代だとも言えます。

青年期には、受験競争や学生運動の影響を受け、社会に出てからは、「会社人間・仕事人間」として生きてきました。

また、「ニューファミリー」と言われる家族構成を形成してきました。
(ニューファミリー・・・・ベビーブーム以降に生まれた世代の夫婦がつくる「夫婦と子どもだけで構成する家庭」。マイホーム志向。友だち同士的夫婦。ファッションに敏感。)

そういう彼らが歳をとって、「アクティブシニア」になったのです。

独自性・革新性・多様性を持った彼らは、新しいセカンドライフを展開しています。

今の日本には、

寝たきりで介護を必要としているシニアと、元気バリバリなシニアの両極端に位置する高齢者たちがいます。

この両極端に位置している高齢者の現在や未来を、

誰が、どうつくり上げていけばよいのか、ということが日本人の大課題なのです。



追補) 昨日、厚生労働省は、日本人の平均寿命がまた更新されたことを発表しました。

男性は、80.21歳(初めての80歳超え)、女性は、86.61歳(世界1位)になり、過去最高を更新しました。

これからは、ますます見方・考え方の変更が求められてきます。

自分だけのことを考えていては、幸せになれません。

共に手を携えて、共に幸せをつくり上げていく時代に突入したのです。


平均寿命:人生「100年」の時代 [平均寿命 健康寿命]

あなたは、次の言葉をいくつ説明できますか?

*高齢者
*前期高齢者
*後期高齢者
*平均寿命
*日本人男子の平均寿命
*日本人女子の平均寿命
*江戸時代の平均寿命
*健康寿命
*シニア
*ヤングシニア*オールドシニア
*アクティブシニア
*スマートシニア
*高齢者の居場所
*高齢者の雇用
*高齢者の学び
*高齢者の生きがい

正確に言える人は、結構少ないです。

若い人にとっては、「あまり関係ないな」ってことになるし、歳をとった方でも「知らなくても生きていけるわ」ということになってしまうからでしょうか。

しかし、少し視点をかえて考えてみると、これらの言葉の表す意味は、今の日本人にとっては、無視できない大課題なのです。

世の中にお年寄りが増えるということは、

老若男女を問わず、どのように生き方の変更を迫られるのかということにダイレクトにつながっています。


今日は、平均寿命の話をします。

平均寿命というのは、

生まれたばかりの赤ちゃんが、平均するとあと何年生きられるか、という数値を言います。

その数値が、日本人の場合、

男性が、79.94歳で世界8位、

女性は、86.41歳で世界1位なのです。

およその平均寿命は、男性が80歳、女性が87歳ということになります。

これは、すごい数字です。

男性の80歳は、60歳で定年退職してから、まだ20年もあるのです。

女性は、27年もあるのです。


その長い長い月日を、私たちはどう過ごせばよいのでしょうか?

よく少子高齢化と言いますが、高齢化について考えてみますと、


①現在、日本の人口の25%が65歳以上です。

②それが2020年には29.1%になります。

③2040年には36.1%になって、

④2060年には39.9%にもなるのです。


とにかく、ものすごい現実です。

世の中が変わります。

当然、考え方も変わります。

というより、考え方を変えなければならなくなります。


文部科学省のHPを見ると、

人生80年ではなく、「人生100年」と書いてあります。

長い長い人生後半を、どう生きるか、ということは、日本人の大課題なのです


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